東北のN町で連続放火事件が起きた。私が小学生の時だ。
深夜に連続する火災とあって街中大騒ぎ、特に、火災は、我が家のある町内に
集中してるとあって、隣近所中大騒ぎになった。
消防団の指導だったのか、枕元に避難支度をしてから就寝する毎日。
いったい、どこにしまっておいたのだろう、第二次大戦時に、米軍空襲に備えた
防空頭巾まで用意されていたほどだ。
大人たちが不安におののく中、私は、少年探偵団を結成し、その犯人を探すべく
立ち上がった。そして、とうとう、友達の裏庭で、数本のマッチ棒が落ちている
のを発見、その家のおばちゃんに警告した。
「次は、おたくが狙われている!」
すると、そのおばちゃんは烈火のごとく怒り出した。
「縁起でもないこと言うな!馬鹿!このガキ帰れ!」
その出来事で、その日、我らが少年探偵団は解散した。
それから一週間後、放火犯は逮捕された。隣の町内の男だったと聞いた。
しばらくして、学校から帰ると、家には、30歳ぐらいだろうか、どこかで
見たことのある女性の客がいた。そして、玄関先から見たその女性は、私の
両親を前にして泣いていた。
外で遊んでこいと言われて、思う存分アチコチで遊びまくり、日が暮れてから
家に戻ると、もうその女性は帰ったあとだった。不思議に思った私は、母親に、
先ほど泣いていた女性のことを訊いた。
驚いたことに、その女性の夫というのが、逮捕された放火犯だった。そして、
N町に身寄りのないその女性は、自分の今後の身の振り方について、相談というか
決心とかを語りに来ていたようだった。
「それで、彼女はこれからどうするの?」
私は母に訊いた。放火は極めて重い罪であることは知っていた。おそらく刑務所に
10年ぐらいは・・・
母は、複雑そうな彼女の事情については、何一つ語ってくれなかったが、彼女が
『私は夫の出所を待ちます』と言って帰ったことを教えてくれた。
「Peace In The Valley」
1937年に作られたカントリー・ゴスペル。
1951にレッド・フォーレイでヒットすると、以後、カバーが続出。
プレスリーやジョニー・キャッシュでも有名ですね。
2012.11.18