結成したBig River Jr.のその後。何せ40年以上前のこと、出来事の時系列が
少し曖昧になっているようだ。スチール担当Tの入部は、もっと後だったと、
記事を書いてから気がついた。
ともかく、各自のポジションが決まり、いよいよBig River Jr.としての練習が
スタートした。すると、途中で二人の追加入部が。一人は同学年で大分から
来たN、もう一人が二年生のONさん。このONさん、一風変わった人だったが、
声も良くて唄が上手かった。ということでボーカルが四人になった。
そうこうするうちに、秋の定期演奏会の日程が決まる。Jr.は、そのステージで
デビュー予定だ。となると演奏曲目だが、この選曲をめぐって、リードギターの
Oとひと悶着あった。当時の私は、バック・オーエンスの大ファン、当然のことの
ように「Act Naturally」を唄うことに決めていた。
ボーカルは私、Oがハモ、これは何とかなった。しかし、リードギターに問題が。
Oが、ビートルズのように弾くのだ。それでは、まるで曇り空のリバプールだ。
欲しいリズムは、バッカルーズのようにシンコペーションするシャッフル、
目指したいのは、明るいウエストコーストの音なのだ。
「ドン・リッチをやってくれ」
「いや、これでいいだら」
「良くないから言っている!それじゃジョージ・ハリスンだ」
「ジョージ・ハリスンでいいだら?」
「駄目だ。あれのどこがいいんだ?」
二人はぶつかった。私も生意気で頑固だが、負けず劣らずOも気が強い。
あの時、私は、バック・オーエンスやドン・リッチのように唄いたかった。
だから、けして譲らなかった。結局、Oは、仏頂面でドン・リッチの、というか、
ドン・リッチ風のギターを弾いた。
練習を終え、二人残った部室。険しい顔つきでOが言った。
「はっきり言うけど、俺はバック・オーエンスが嫌いだら」
「えっ・・・」
「あの唄い方が嫌いだら」
「誰ならいいんだ?」
「ハンク・スノウのほうが、まだいいだら」
「そうか・・・」
それで、その時の会話が終わった。
二人の間にはそんなことがあったが、定期演奏会のステージでは、私とOのコンビで
「Act Naturally」をやった。だが、それが終わると、Oは、あまり部室に来なくなり、
やがて音信も完全に途絶えた。
それは、私との、あの対立が原因ではなかったと思う。何となくわかるのは、Oの
感性が、カントー音楽とは少しかけ離れていたことだ。
Oには、音楽センスがあった。ルックスも良く、ステージでの彼の演奏姿はスマートで
見栄えがした。だが、彼は、泥臭さを嫌った。だから、執拗に粘っこく唄いまわす
バック・オーエンスが苦手だったのだと思う。
翌年、長いブランクがあった後、突然Oが部室へ戻ってきた。そして、もう一度、
一緒にカントリーをやりたいと言った。私に異存はなかった。
だが、彼は、後輩たちとうまくやれず、Oは再び去った。
私は引き止めなかった。なぜなら、その後輩たちは、彼が去った後、バックとして、
私たちの唄を支えてくれていたからだ。
手元に、一枚のステージ写真がある。
生意気盛りの二人が、一緒に「Act Naturally」のサビを唄っているショットだ。
写真は白黒だが、私たちは、お揃いの真っ赤なベストを着ていた。
「Your Tender Loving Care」
バック・オーエンス、同名のアルバムの一曲。
1967年にNo.1ヒットになりました。
2013.4.11