パッツィーの卒業証明書が必要になり、一緒に母校に向かった。
卒業後、国分寺の町へは何度も出掛けているが、キャンパスへは40年ぶりだ。
南口を出て坂を下りると交差点がある。角のガソリンスタンドは昔のままだが、
右手の高台にあった雀荘「みどり荘」は無い。
その先を左折すれば、そこは学校へ向かう上り坂。かなり息が切れる。
坂道の途中にあった、喫茶店「あじさい」は無くなっていた。右折して少し進むと
校門が見えてくる。その手前の「トイメン食堂」、今では普通の民家だ。
校門を入って右手のところは学食だったが、今は無い。
通路を挟んで、左手には昔のままの松の木が残っている。だが、その向こうにあった
バラックのような我々の部室の場所には、別の大きな建物が・・・
キョロキョロしながら目的の学生課にたどり着く。
パッツィーが申請手続きをしている間、私は、暇そうにしていた職員と少し立ち話。
それによると、20年ほど前に校舎を建て直したようだ。
用事を済まし、昔の「本館」のところへ行った。すると、そこには新しい図書館が。
そのわきの通路を先へ進んだところで、パッツィーが叫ぶ。「あっ、10番教室!」
駆け寄ったパッツィーは、躊躇せず、タイムトンネルの扉を開ける。
すると、そこには昔のままの階段教室が現れ、思わず立ちつくす。
40年も経ったているのに、この教室は不思議なほど何も変わっていない。
「ここで、色川教授の授業を・・・」とパッツィー。
教授は当時の日本近代史の第一人者で、教科書は、彼の名著「明治精神史」
そんな彼の講義、10番教室は学生たちでいっぱいだった。
とりとめもなく、色々なことが思い出される。
部室に同居していたもブルーグラスの人たちの練習場も、この10番教室だった。
期末テストの中小企業論を受けたのもここだ。前年に落とした教科なので、やけに
よく覚えている
その時は、早めに教室に入り、ボールペンで机に「答え」を書き込む。
ところが、私が座った机には、同じことを考えた先輩たちのメモ跡がべったり。
これでは、書き込むスペースが足りない。焦る。別の座席を捜してウロウロ・・・
もし、パッツィーの用事がなければ、生涯、母校に足を運ぶことはなかっただろう。
とても暑い日だった。歩くたびに汗がダラダラ流れた。
だが、ビールを飲みながらつくづく思った。行って良かった!
「Leavin' On Your Mind」
1963年、パッツィー・クライン最後のヒット曲。
彼女は、この年に飛行機事故で亡くなりました。
2014.6.3