球春到来!プロ野球全球団がキャンプインした。今年こそ!「雪辱」を心に期す
監督や選手たちも多いだろう。期待されていたのにBクラスに終わった監督。
ここ一番という大切な試合で打ち込まれた投手。あの時の試合、あの打席で自分が
打っていたらという打者たち。彼らの、今年のキーワードは「雪辱」だ。
「雪」は訓読みで「すすぐ」。なので「雪辱」を読み下せば「恥をすすぐ」となる。
これは、戦いなどに負けた恥を、次に勝つことによって消し去り、名誉を取り戻す
という意味。司馬遷の「史記」の有名な物語から、「会稽(かいけい)の恥をすすぐ」
という故事成語が生まれたのが始まりらしい。
「雪辱」では、この「雪」が「消しさる」という意味で使われている。このことに
ついて、私はこう思っていた。白い雪は、今までそこにあった汚れた物などを、
たちまちにして見えなくしてしまうからだと。
ところが、識者、円満字二郎氏はこう述べている。
【「雪」という漢字は、古くは雨冠の下に彗星の「彗」と書いた。彗星とは
「ほうき星」のことで、つまり、「彗」は「ほうき」を表す漢字なのだ。
とすれば、雪には、何かを取り除いてきれいにするという意味があるのも
納得できる】
なるほど、ほうきなのか・・・ただ、その識者はこうも述べている。
【多くの人にとって、(このような)字源的な解説は不要であろう。天から降り
注ぐ雪は、見渡す限りを埋め尽くして、白銀の世界に変えてしまう。
その美しさをイメージするだけで「恥をすすぐ」という表現は、鮮烈な印象
を伴って、我々の胸に沁み入ってくるのだから】
となると、私の「雪→汚れを隠す」という単純な思い込みも、あながち間違いでは
ないということだ。それにしても、漢字の持つ真の意味というのは難しい。
これは「雪辱」の語源ともなった、会稽山での戦いのその後だ。
【呉の国に敗れ、降伏した越王の句践(こうせん)の心の傷は深かった。許されて
帰国した句践は、寝起きするときも、食事をするときも、事あるごとに肝を
舐め続けた。そして、その苦みをかみしめながら、自らにこう言い聞かせるの
である。「汝は会稽の恥を忘れたるか?」
いつか必ず呉王に報復してやる。その強烈な意志の下に彼は国政に励んだ。
越の国が年を追って充実していくのに対し、勝利におごった呉の国は、次第に
政治のたがが緩んでいく。そうして、両国の力関係は逆転するに至った。
紀元前473年、句践は、ついに呉を滅ぼすことに成功する。それは、会稽での
恥から、実に21年後のことであった】
今年こそはと、「雪辱」を期すのが、力士やプロ野球の選手たちならいいのだが、
今の時代、これが国と国との話になると、極めて厄介なことになる。その場合の
多くは「報復」だからだ。
「報復」とは単なる「仕返し」のことだ。それに対して、「雪辱」とは、自らの
敗北を受け入れ、その恥を、心の底から、雪のようにきれいさっぱりとすすぐこと。
この両者は、似て非なるものだ。
「The Cuckoo Bird」
原曲は英国のフォークソングで、数多くのカバーがある。
放映中のNHKドラマ「全力離婚相談」の中で流れているが、
それが実にいい!誰が?と思っていたら、日本人の「中村まり」さん
というシンガーだった。
捜してみたが見つからないので、ここはドク・ワトソンで。
2015.2.4