古い写真を見ていて気が付いた。あの頃のカントリーミュージシャンは、
小坂一也を筆頭に、ほとんどのミュージャンがカウボーイハットを「あみだ」に
かぶり、ヒタイどころか前髪まで出してポーズをとっている。
何となくしまりがない。ハットぐらいきちっとかぶれという感じだったが、すぐに
気が付いた。あの頃は自分もそうだった。学生時代のステージや合宿での写真に
写っている自分も全部「あみだ」かぶりだ。流行りだったのだろうが、人のことは
言えないものだ。
そこで疑問が。なぜ、あのかぶりかたを「あみだ」と言うのだろう?調べてみた。
すると<実用日本語表現辞典>にはこうあった。「麦わら帽子のような全方向に
つばのある帽子を後ろ下がりの格好でかぶること。阿弥陀仏の後光に喩えた表現」
なるほど、頭の後ろのつばを「後光」に見立てたのか。それがいつしか、野球帽の
ような後ろにつばのない帽子でも、前を跳ね上げてかぶる帽子スタイルであれば、
あみだかぶりと称するようになったのだろう。
帽子の「あみだ」由来はわかった。それなら「アミダくじ」の「あみだ」も?
これも、やはり阿弥陀仏からきているようだ。昔の「アミダくじ」の線は、人数分
を真ん中から放射線上に引いたらしい。その様子が、あたかも阿弥陀仏の「後光」に
似ていることからそう呼ばれたという。
それにしても阿弥陀仏は忙しい。「阿弥陀も銭で光る」ということわざは、世の中は
金次第という意味だ。他に「金の力は阿弥陀ほど」というのもある。これも、金の力
は絶大であるという意味。
いずれもお金にまつわる喩えだが、当時の人たちは、それほど阿弥陀仏の力を信じ
ていたこともあろうが、もう一つには、阿弥陀仏の作る指の形からきていると思わ
れる。あれは「印相」というそうだが、阿弥陀仏は、親指と他の指で「丸」を
作っているものが多い。
鎌倉大仏も阿弥陀仏だそうだ。あの大仏も、膝の前で組んだ左右の指で、しっかりと
「丸」を作っている。識者いわく。「あの印相はお金のことではなく、信者の未来は
任せなさいというOKサインなのだ」。
そこで「阿弥陀も銭で光る」と「金の力は阿弥陀ほど」の喩え。
これは、昔の人が、阿弥陀仏の指はお金を表していると勘違いしたわけではなく、
世の中はお金がすべてだと信じていたわけでもないと思う。おそらく庶民は、
仏の指の「丸」を拝借し、金権至上主義を痛烈に皮肉ったのではないのか・・・
そんな気がする。
「古い写真」からだいぶ話が飛躍してしまったが、カントリーおじさんたちは、
くれぐれも、カウボーイハットを「あみだ」にかぶらないように。
どんなに苦労して「あみだ」にかぶっても、昔のように前髪は出てきません。
「You're The Reason」
ボビー・エドワーズ1961年のヒット曲。
カントリーでも、ポップスでも、ベストテン入りしました。
ここでは、ハンク・スノウの名調子を。
2015.4.27