連続テレビ小説「とと姉ちゃん」が人気だ。五年半ぶりに復帰した「宇多田ヒカル」の主題歌「花束を君に」にも注目が集まっている。いい曲だし、唄も実に上手い。だが、気になるのはその歌詞。意味のわからないところがあるのだ。
出だしの「普段からメイクしない君が薄化粧した朝」がそうだ。「君」というのは、主人公の「常子」のことだと思うが、その彼女が特別に化粧したのは、どんな日の「朝」だったのだろうか。恋人に会いに行くためなのか。それにしては、次に続く「終わりと始まりの狭間」というのが変だ。
そこで探すと「ロッキン・ライフ」というサイトが、この歌詞を考察していた。それによると、普段メイクをしない人が薄化粧をするというのは「棺桶に入る時」ではないか。だから、この歌は「生者から死者への弔いの歌」なのだと。
そうかもしれない。それですべての辻褄が合ってくる。「終わりと始まりの狭間」というのは「生死の境目」のことかもしれないし、愛しい人を弔うために贈るのは、「言葉」よりも「涙色の花束」のほうがふさわしいような気がする。
もしそうならば、「花束を君に」は、本来、ドラマの最終回に流れるべき曲なのかもしれない。それを、朝ドラのオープニング曲として使うには、その歌詞に、不吉さを感じさせない工夫も必要になるだろう。そんなことで、少しわかり難いのかもしれない。
ところで、薄化粧した「君」が常子なら、彼女に「涙色の花束」を贈るのは誰なのだろう? 主題歌が流れるバックのイラストには、学生服の男性が、女性に花束を贈る様子が描かれているが、あれは、元恋人の「葉っぱのあんちゃん」だ。彼なのか?
しかし、それでは「終わりと始まりの狭間に忘れぬ約束した」という歌詞が意味不明となる。もしかしたら、病気の父親が死に際に、長女の常子に「ととの代わりになってくれ」と頼んだこと。それに「わかりました」と常子が答えたこと。これが「忘れぬ約束」だったのでは・・・
もしそうならば、見事に約束を果たし終えた常子に、「よくやった」と花束を贈るに一番ふさわしい人とは、常子の父親かもしれない。しかし、その父親は、もうすでにこの世の人ではなくなっているから、それはあり得ないか・・・もしかしたら、常子が最後に見る夢なのかもしれない。
勝手にそんなことを想像していたら、この詩は、宇多田ヒカルが、精神を病んで自ら命を絶った母「藤圭子」に捧げた鎮魂歌なのだという説を見つけた。そうか、宇多田ヒカルの自叙伝でもあるのか・・・確かに、母親の密葬のとき、喪服姿で花束を手にしている宇多田ヒカルの写真があった。
いずれにしろ、「とと姉ちゃん」の最終回でこの主題歌が流れた時、この歌詞の意味のすべてが明らかになるのだろう。ちなみに、この「花束を君に」は、海外を含めて24冠を獲得しているそうだから凄い!
2016.8.30
「Hungry Eyes」
マール・ハガードの自作。1969年のNo.1ヒットです。