今日は、バンドが出来るまでの話。
私がBig Riverに入った時、同期生は6人だった。
新たにカントリーバンドを結成しようとすると、まず始めに、担当する
ポジションの割り振りが必要になる。
練習に参加するようになって、しばらく経つと、先輩から、新人だけのバンド
を結成するように言われた。つまり「Big River Jr.」だ。
そこで、新人だけが集まっての会議、何となく私が仕切ることとなった。
まず最初に、ボーカルをやりたい人!と訊いてみた。すると、私も含め4人もいる。
ウーン、6人中の4人か・・・これではバンドにならない。そこで考えた。
その中のOは、高校時代、ビートルズバンドでジョージ役をやっていたようだ。
「リードと唄ではどう?」私が提案した。
「それなら、いいだら」とO。
余談だが、同じ静岡県出身でも、家計簿くんは語尾を「○○ずら」と言う。
ところが、このOは同じところを「○○だら」と言う。不思議だ。
それはともかく、ということで、この≪だら≫のOが、リードギター兼ボーカルを
担当することになった。
次に、すんなりと決まったのがドラムスだった。家計簿くんが「俺がやるずら」と
手を挙げたのだ。私たちは、先輩バンドが練習する合間に、見よう見まねで、彼が
ドラムを叩いているところを何度か見ていた。さすが家計簿くん、帳尻の合った
リズム感だ。もちろん一人の反対者もなく、これでドラムスが決定した。
私がボーカル希望のTに言った。
「ボーカルが多いなぁ、スチールはどう?」
「難しそう・・・できるかなぁ?」
「先輩に教わるといい」
「それじゃ、やってみようかな?」
彼が、上達するかどうかは判らなかったが、とりあえずスチールが決まった。
残るはフィドルとベース。本当ならピアノも欲しいが、それは無理だろう。
その時、富山県出身のIが口を開いた。彼は、まったく音楽経験がない。
「俺はどうしよう?」
「じゃぁ、ベースでもやれば?」
誰かが言った。誰だったろう・・・私だったかも?
「じゃ、そうする」と、Iが素直に応じた。
これで担当の割り振りが終わった。
リードギターにO、ドラムに家計簿くん、スチールにはT、富山のIがベースだ。
となると、ボーカルには、私と、音楽にはズブの素人のHの二人。
オー!バンドが出来た!まあ、今のところは形だけだが・・・
何はともあれ、この日から「Big River Jr.」という新バンドがスタートした。
だが、反省しなくてはならないのが、あの時のIに向かって言ったフレーズ。
「じゃぁ、ベースでもやれば」とは、何とひどい言い草だった。
この時、「じゃぁ」とか「でも」とか言った男は、世界中のベーシストを
すべて敵に回した。
今になって判る。ベースというものは、一見地味だ。だけど、バンドには
無くてはならない重要な楽器なのだ。そして、やればやるほど・・・
実に奥の深い、かつ、難しい楽器なのだ。
後半のベース礼賛の部分。現在、私は、パッツィーに拳銃を突きつけられて、
この文章を書いている。
「The Wild Side Of Life」
ハンク・トンプソンの自作。
1952年、15週トップを走り続けただけではなく、
これのアンサーソングもNo.1ヒットになりました。
2013.4.8