昔、仕事で山形の某市に行った。そこは山間の町。交通の便が悪いので
目的地へはタクシーを使った。車中、ここに、野球強豪校があるのを思い出し、
運転手さんに話しかけた。すると話が思わぬ方向へ。
タクシー会社に、夜中に迎えに来てほしいという電話があった。
深夜、指定された時間に某高校野球部の寮の前に到着すると、待っていたのは、
まだ幼い顔を残した高校生。1年生のようだ。
高校生のかたわらには、大きな荷物があった。長距離のお客さんだとは聞いて
いたが、少し様子が変だ。運転手さんは具体的な行き先を訊いた。
「どこまで行くの?」
「横浜の自宅に行ってください」
運転手さんは驚いたという。それはそうだ。山形から横浜までタクシーなのだ。
ピンときた。この高校の野球部では、以前にもこういったケースがあった。
「脱走するの?」
「はい」
「お金はあるの?」
「料金は、着いたところで払います」
今ほど、シゴキやイジメが問題視されなかった時代。野球高校へ、特待生として
越境入学した選手たちは、相当苦労していたようだ。この脱走しようとしていた
高校生も、その中の一人であったに違いない。
深刻な問題があれば、普通は、監督や教師に相談を考える。ところが、事情は
そう簡単ではない。こうした野球留学には、いろいろなしがらみがついて回る。
当時、中学生の野球技術を評価した高校は、入学試験は免除は当たり前。
さらに入学金と学費の免除もする。また、特に優秀な選手には、後援会から、
寮費や小遣いまでも支給されるケースもあり、こうしたことには、おおむね
「仲介者」も存在するのだ。
同じころ、静岡で聞いたことがある。優秀な関西の中学投手に、ある関東地区の
私立高校から信じられないほどの大金が動いたらしい。聞いた時は、まさかと
思ったが、後に、この問題はマスコミで取り上げられ問題となった。
シゴキやイジメにあった生徒は、まずは親元へ連絡し、そして監督や学校側と
話し合う。これが普通だ。ところがその山形の選手、こういう当たり前の手順が、
何らかの事情で困難だったのではないだろうか。そこで深夜の脱走・・・
「それでどうしました?」私が訊いた。
「可哀そうだが断りました。いくらなんでも・・・」
目的地に到着し、運転手さんとの話はそこで終わった。
思うに、高校1年といえば15か16才だ。親元を離れ、知らない町での一人暮らし。
当然周りからの期待は大きく、監督や関係者も何とか戦力にと力が入る。
先輩や同期生たちは、仲間というよりもライバルだ。特待世。一般入学の選手たち
からの嫉妬もあるだろう。そんな中、よほどの強靭な精神力、そして、卓越した
スキルがなければ、3年間はやり抜けない。
それを考えると、マー君というのは凄い。関西から北海道の高校へ。甲子園で
大活躍の後、日本のプロ野球でエースに君臨。今では、野球の頂点アメリカで、
大リーガーを相手に投げまくっている。
彼は、ピンチになると、人が変わったように闘志をむき出しにして全力で投げる。
当時、楽天の野村監督が常々言っていた。「マー君は神の子」
それを耳にした時、「彼には、なぜか神がほほ笑む」と言っているよう思えた。
何だかわかるような気がする。乗り越えてきたものが違うからだと思う。
「Just One Time」
オリジナルはドン・ギブソン。1960年に2位でした。
1971年のコニー・スミスのカバーも2位に。
ここでは、チェットとマーク・ノツブラーで。
2014.12.4