玄関の履物を収納するところ。これまで一度も下駄を入れたことがないが、
パッツィーも私もそれを「下駄箱」と呼んでいる。あの中には、靴と草履が
入っているだけだし、それに、あれは「箱」ではない。ところが、名前は昔の
ままの「下駄箱」だ。
昔のままといえば、「レコード屋(店)」もそうだ。今時の若い人たちは、
「CDショップ」とでも呼ぶのだろうか?でも何だか馴染まない。
レコードを売ってなくても、私にとってあの店は「レコード屋(店)」なのだ。
「筆箱」もかなり頑張っている。あのケースの中に、実際に筆を入れたこと
のある人はとても少ないと思う。今も昔も、入っているのは鉛筆と消しゴム、
それと定規ぐらい。それでも鉛筆箱とか、筆記用具箱とかに名前が変わらず、
あくまでも「筆箱」だ。
「下駄箱」「レコード屋」「筆箱」のようなものは、昔ながらの呼び方を
使い続けても何も問題が起きない。ところが、時と場合、加えてそれを発言
する人の立場によっては、大きな問題となる「古い呼び方」もある。
3月の参院予算委員会で、安部総理が自衛隊を「我が軍」と発言した。
もちろん「軍隊」というのは古い呼び方だ。つい本音出たのか、それとも
確信犯なのかは定かではないが、結果、その発言は野党から追及を受ける
ことになった。
現状、憲法9条第2項で「戦力の保持」が禁止されているので、自衛隊は軍隊
として認められていない。だから、総理への批判は当然だ。私たちが、自分の
好みで「古い呼び方」を使っているのとはわけが違うのだ。
先日の朝日新聞「天声人語」にこんな話が載っていた。その筆者の先輩記者は、
原稿に「旧日本軍」とは書かず、必ず「日本軍」と記したという。
もちろん、周りからは度々注意を受けたが、彼は、頑として原稿に「日本軍」
と書き続けた。
その記者が、あえてそう書く理由は明確だった。敗戦後の我が国には「日本軍」
は存在しないからだ。よって「旧日本軍」という使い方のほうが間違いだ。
というのが記者の主張だ。
その記者はすでに亡くなった。もし生きていれば、総理の「我が軍」の発言を
どう感じたのだろう・・・そう天声人語は結んでいた。
安部総理は「我が軍」つまり「軍隊」と。記者もまた「日本軍」と。
ともに戦時中の「古い呼び方」を使ったわけだが、二人の「立つ位置」には、
埋めようのない大きな隔たりがあるようだ。
「I Know One」
ジャック・クレメントの作品。
1967年、チャーリー・プライドで6位になりました。
2015.5.25