相撲ファンのパッツィーが、夕刊にいい記事が載っていると言う。
見ると、そこには≪照ノ富士支えた「兄」2人≫という大きな見出しが。
それは、夏場所で初優勝し大関昇進を果たした照ノ富士と、兄弟子で付き
人「駿馬」と、呼び出し「照矢」、この3人の物語だった。
5月27日「朝日新聞」夕刊記事から。
【24日の千秋楽。優勝が決まり、十重二十重の報道陣に囲まれた照ノ富士が
無言で駿馬(33)と一緒に姿を消した。喧騒を避けるように支度部屋の裏へ。
そこに照矢(32)の姿があった。3人で手を握り、笑って、泣いた。
出会いは照ノ富士が19才の時。相撲留学した鳥取城北高校を中退し、入門し
た間垣部屋に2人がいた。当時の間垣部屋は、親方が病に倒れ経済的な問題
を抱えていた。
関取衆が多い部屋都とは違い、差し入れも少ない。弟子たちが自ら、親類や
知人に差し入れを頼んで食いつないだ。駿馬は「肉を買って食べられる余裕
はなかった」と振り返る。
力士は4人の小所帯、それでも稽古は厳しくやった。すでに身長190㎝を超え
ていた照ノ富士に、163㎝の駿馬が何十番も胸を出し・・・稽古にほとんど
来なかった師匠に代わり、駿馬が惜しみなく相撲を教えた。
稽古場の外では2人が教育係だった。普段は裏方として部屋の仕事を切り盛り
している照矢が言う。「しっかり者の駿馬が長男。俺が次男で、やんちゃだけ
どかわいい三男が照ノ富士。色々いと大変なこともあったけど楽しかったなあ」
洗濯物をため、部屋を汚していた照ノ富士を時には厳しく叱った。兄弟子に
刃向かう照ノ富士に、一から礼儀作法をたたき込んだ。
「くちゃくちゃ食べるな」とも注意した。「番付が上がった時に恥ずかしい思い
をさせたくない」。将来は十両か、幕内か・・・そんな予感が駿馬にあった。
その矢先に部屋の閉鎖が決まった。引退か、部屋を移るか。移籍先の候補に
伊勢ヶ浜部屋が挙がった時、照ノ富士は嫌がった。「怖い部屋って印象が
あったから」。30歳を超え、違う部屋に移る駿馬にも不安はあった。
でも駿馬は言った。「行ってダメなら、やめればいいよ」。大相撲を去った仲間
もいたが、3人は移籍を決めた。日馬間富士ら関取衆に猛稽古を付けられ、
照ノ富士はめきめき力を付けた。移籍から2場所で十両に昇進。駿馬は現役を
続けながら、後輩の付け人になった。
「まさか大関になるとはね」と駿馬が言えば、照矢は「遠い存在になっちゃった」
緊張気味に「更に上を目指して精進いたします」と口上を述べた三男坊を、誇らし
げな笑顔で見守った。】
照ノ富士の優勝の瞬間、ドン&パッツィーは、早めにロンピク会場を抜け出し、
テレビの前にいた。自身の取り組みを終えた照ノ富士は、優勝決定戦を覚悟し、
支度部屋でテレビを睨んでいる。部屋の兄弟子である横綱日馬富士は、力を振り
絞って大一番を戦った。
白鵬の敗戦が決まったその瞬間、照ノ富士は、小柄な付き人駿馬の胸にしばらく
顔を埋めていた。27日、大関昇進を果たした照ノ富士はこう言った。
「夢をつかむことができたのは、とっても大切な二人のおかげ・・・」
「I'll Leave This World Loving You」
リッキー・バン・シェルトン
1988年のNo.1ヒットです。
2015.5.29