昨夜の熊本大震災、甚大な被害が出ているようです。被害にあった方々、ならびに関係者の方々に心よりお見舞い申し上げます。Don & Patsy
≪ Walkin' Backライブの告知です ≫
会場 笹塚「リバティベル」
日時 4月27日(水) 19時半より演奏開始。よろしくお願いいたします。
北島康介(33)が引退を表明した。男子平泳ぎで史上初の五輪2大会連続2冠に輝いた北島だったが、リオ五輪の切符を逃したことで決意したようだ。選考会直後のインタビュー、後日行われた引退会見でも、彼の表情は清々しかった。
北島康介の最後の泳ぎを見た後、ふと、土方歳三の「最後」を思った。
幕末、歳三は現在の日野市の農家に生まれた。その後、歳三は「新選組」隊長・近藤勇のもとで京都の治安維持に腕を振るい、鬼の副隊長として恐れられる。だが、幕府軍の一員として参加した戊辰戦争鳥羽伏見の戦いで惨敗を喫すると、それ以降の戦いは負け続け。宇都宮城の戦いで足を負傷した歳三は、会津に護送される。
三か月後、全快した歳三は、薩長軍に対し徹底抗戦の構えを見せる会津軍に合流する。しかし、会津軍は母成峠の戦いで敗戦。歳三は援軍を乞うべく庄内藩に向かう。ところが時すでに遅く、歳三が到着した時には、庄内藩はすでに恭順を決定したあと。歳三は城内にすら入ることが叶わなかった。
歳三は、仙台に向かうことを決意する。かつて、新選組は京都守護職・松平容保の預かりであったことから、「会津藩に忠誠を尽くすべし」と訴える元新選組・斎藤一と決別、新たな戦いを求めて仙台へ。そして、仙台で榎本武明率いる旧幕府軍と合流した歳三は、新選組生き残り隊士たちと共に船で蝦夷へ向かう。
蝦夷に渡った歳三たちは箱館で五稜郭を占領した後、松前城を陥落させ蝦夷地を平定、榎本を総裁とする「蝦夷共和国」を設立する。しかし、明治2年、新政府軍は蝦夷地に上陸。歳三たちに向けて攻撃を開始する。土方軍は連戦連勝で陣地を死守したものの、もう一つの松前口が破られたことで、やむなく、土方軍は五稜郭まで撤退した。
同年5月、新政府軍の「総攻撃」が開始され、元新選組隊士・島田魁たちが守っていた弁天台場が新政府軍によって包囲され孤立する。五稜郭には「籠城論」が根強くあったが、歳三はそれを拒否。自ら少数の兵を率いて出陣する。
前線から敗走してくる味方の兵士。歳三は「退くものは斬る!」と敗走兵をまとめあげ、攻め来る新政府軍に応戦。馬上の土方歳三は鬼のように戦った。その時、一発の銃弾が歳三の腹部に命中。それが歳三の「最後」となった。
後に、明治政府の要職に就いた薩長人たちが戊辰戦争を話題にする時、話が土方歳三のことに及ぶことを嫌がったそうだ。侍としての嫉妬だった。憎むべき新選組の副隊長、しかも農民あがりの土方歳三が、「侍」として見事な「最期」を遂げたからだ。
もう自分の時代ではないことは、歳三と同じように北島康介も知っていたと思う。どこで散るか、どのように散るのか・・・桜の季節だった。栄光を背負った北島康介は、「日本選手権リオデジャネイロ五輪代表選考会」に全力で臨み、そして見事に散った。
「You're Still on My Mind」
ジョージ・ジョーンズ1962年の作品を
サミー・カーショウがカバー。ライブで唄います。
2016.4.15