≪Walkin' Back ライブの告知です≫
会場 リバティベル
日時 7月6日(水) 19時半演奏開始
よろしくお願いいたします。
山梨県側と静岡県側とで「表富士」論争があるらしい。山梨県の言い分としては、旧五千円札と新千円札の「逆さ富士」は山梨側から見たものだし、富士五湖も全部山梨県にある。おまけに、富士急ハイランドは山梨県にあるから「こっちが表」だという凄い理由も。
対する静岡側の主張。広重の絵には「甲斐夢山裏富士」とあり、北斎の富嶽三十六景にある「裏富士」というタイトルの絵は、山梨側から描いたもの。これらからわかるように、山梨県側から見る富士は、古くから「裏富士」と呼ばれていた。
傍からみれば、どちらが裏でも表でもいい話なのだが、そこに住んでいる人たちにとっては、譲れない話なのだろう。自分たちが毎日仰ぎ見る富士山の雄姿は、「裏」と呼ばれるよりも「表」のほうがいいという平和な論争だ。
ところが、同じ「裏」でも、「裏日本」となると少し違ってくる。私たちが子供の頃の天気予報では、北海道・九州を除く日本海側の地域を「裏日本」と呼んでいた。ところが、気が付くと、いつの間にか「裏日本」は、「日本海側」という呼称に変わっていた。
ウィキによれば、「裏日本」という呼称が使われたのは、矢津さんという地理学者が明治時代に発表した「中学日本誌」が最初だという。その後、東京を日本の玄関口という意味で「表」とした場合、日本海側が「裏」となることから、地理表の記上として使われ始める。その時点では、何の問題もなかったようだ。
ところが、20世紀に入ると「裏日本」という呼称は、次第に「表日本」と対比した経済格差を表す言葉として使われるようになっていく。さらに、この解釈に追い打ちをかけたのが高度成長。太平洋側の工業地帯に向けて大量の人口が移動し、「裏日本」と呼ばれた地方はますます衰退していった。
異を唱えたのが新潟の市長。抗議を受け、NHKでは1960年代後半から、差別的・侮蔑的であるとして「裏日本」という言葉を使わなくなる。また、それをきっかけに、民放や地方紙でも1970年代後半から徐々に右習え。それが世間に浸透して「裏日本」「表日本」という呼称や表記は、「日本海側」「太平洋側」と改められたという。
確かに、「裏」という文字には、暗いイメージが付きまとう。それは、裏口入学・裏工作・裏金・裏切り・裏街道などのネガティブな言葉を連想するからだと思う。暗いイメージといえば、「陽(ひ)」の反対語である「陰(かげ)」という字もそうだ。
山陰の関係者たちは、暗いイメージを払拭しようと、何度か別のネーミングへの変更を試みたという。しかし、どういうわけかそのどれもが定着できず、「山陰地方」や「山陰本線」などと、現在でも「陰」は使われている。
実は、私の生まれ故郷にも、「陰(かげ)の町」と呼ばれるエリアがある。もちろん正式な町名ではないのだが、私たち町内の人たちは、小高い山をはさんだ向こう側を古くからそう呼んでいる。ところが、最近知って驚いた。向こう側の人たちも、昔から、こちらを「陰(かげ)の町」と呼んでいたのだ!
「Heart Over Mind」
以前、メル・ティリスで取り上げた、レイ・ブライスのヒット曲。
今回は、リンダ・ディビスの歌です。
2016.6.28