一月場所は十五日間連続の満員札止め、最後は「稀勢の里」の初優勝に沸いた。正式に横綱昇進を果たした稀勢の里、来場所は、初横綱として私たちにどんな相撲を見せてくれるのだろうか、大いに楽しみだ。
ただ、残念なことは、ケガ人の多い場所でもあったこと。途中休場は、横綱の日馬富士と鶴竜、大関の豪栄道、小結の栃ノ心と4人。十両でも、若ノ島が十三日目からケガで休場となった。また、ケガを抱えて強行出場した力士も多かった。大関の照ノ富士、平幕の大砂嵐、十両では阿夢露や安美錦・・・思うように動けない姿は痛々しかった。
幕下の土俵には、かつて三役を13場所も務めた実力者「豊ノ島」がいた。アキレス腱断裂による陥落だった。妻帯している豊ノ島にとって、幕下生活は厳しいことだろう。十両力士には、月給103万6,000円が支給されるが、幕下以下には1円も出ない。相撲協会から支給さるのは、本場所手当としての7万~15万円と、成績に応じたわずかな奨励金だけらしい。
幕下への陥落というのは、こと金銭面の問題だけにとどまらない。幕下以下の力士には、「付き人」という大変な仕事がある。付き人になれば、風呂で関取の背中を流したり、個室の掃除、買い物、洗濯、ご飯の給仕など、関取の身の回りの世話を全部しなければならない。
まさか、豊ノ島が付き人をすることはないと思うが、それでも番付がすべての相撲社会。部屋での立場は、それまでとは大きく違ってくるだろう。関取は協会から認められた「力士」だが、幕下以下は「力士養成員」という位置づけらしい。
収入以外にも違いがある。マゲは、関取の「大銀杏」から、普通のマゲへ。マワシは、絹の博多織から黒色の木綿マワシへ。関取が着ることができる羽織袴はダメで、一年中、浴衣や着流しで過ごす。畳敷きの雪駄はダメで、幕下はエナメル製の雪駄を履く。
普段の移動では、関取はタクシーや運転手付きの車を利用できるが、幕下以下は公共交通のみ。地方巡業の移動では、関取は電車はグリーン車で、飛行機はビジネスクラス(大関以上はファーストクラス)。幕下以下になると、電車は普通車、飛行機はエコノミークラスに変わる。
もっとある。支度部屋で座布団が使えるのは十両以上。化粧まわしや身の回りの品を入れる「明け荷」は関取でなければ使えない。関取には部屋の個室が与えられるが、幕下以下は大部屋で寝泊まり・・・関取と幕下以下の待遇には、天と地ほどの差がある。
それゆえ、すべての力士は関取を目指す。そして、念願の関取となった力士は、その地位を守ろうと必死に努力する。関取から幕下に転落した力士が「一番辛いことは、プライドが傷つくことだ」と言った。このままでは終われない豊ノ島、関取復帰をかけて来場所も幕下の土俵に上がる。
「Eddy's Song」
エディ・アーノルド、自身のヒット曲をズラリと並べた歌詞が面白い。
1952年にNo.1になりました。
2017.1.26